拙作「人として」のちょっとした解説です。
まず、この作品が何なのか、から。
「妹が、世界を壊す前に」が、私の提唱する新しいフレームワーク、交響文学のフル実装であるならば、「人として」は、その部分適用です。
また、舞台を魔法のファンタジーから現代ミリタリーに変えることで、このフレームワークの汎用性を試す、と言う実験意図がありました。
交響文学の構成要素
自身の提唱する交響文学について説明します。用いている技法は大きく二つあり、対位法、主題の多段変奏回収、と呼んでいます。
一般に、主題と言うものは、物語全体を通じて、問われ、回収されるもの、と考えていますが、交響文学において、主題は反復、変奏されます。そのため、主題を変容させる必要があり、対位法としてそれぞれ違った正しさ、価値観が時に対立し、時に調和し、互いに影響を与えていく必要があります。
これにより、主題が再提示された際にはその意味合いが変わる、つまり変奏として表れ、主題が多段階の変奏を経て回収される構造になります。
そして、これらを統合し、登場人物を旋律に例え、各声部が対位法として奏でられながら物語が進行します。
と、言うのが、交響文学の本質です。これは、文芸作品を時間芸術として捉え、文芸作品の本質は、時間経過による内面の変化を描くことである、と言う主張です。
人として、での部分適用
「人として」には声部が三つあります。
- 兄:非日常の体現
- 妹:守るべき日常の象徴
- 手紙:語られない真実の裏にある、一貫した想い
これらが、交わることなく調和することで、互いをより強調しています。
また、後半で手紙の旋律が失われ、最終話では兄の旋律が不在となります。これは、残された旋律によって、失われた旋律が浮かび上がるような構造としています。
主題の多段変奏回収ですが、交響曲はタイトルが第一主題です。私の作品も、タイトルを第一主題としています。
- 兄:人として、の矜持
- 妹:人として、当たり前の人生
- 手紙:兄が妹の、人として、の当り前を享受することへの祈り
と言う、三つの変奏回収をしています。この短編では物語の進行によって主題が変容する、と言うものを入れていません。主題は一貫しています。
交響文学の汎用性
このように、ジャンルを問わず、また、スケールも変えられるものである、と言うものを、「妹が、世界を壊す前に」と、「人として」で試してみました。
「人として」は完結しているので、ご興味のある方は読んでみてください。また、連載中の「妹が、世界を壊す前に」と、「ネコミミ☆パラドックス」は、どのように第一主題が変奏回収されていくのか、見守っていただければと思います。
結語
文芸作品を時間芸術として捉えた場合に、時間芸術の粋である音楽。そして、クラシック音楽の集大成と言える交響曲の構造を文学に適用することで、感情のうねりを構造から生み出せるのではないか、と言う試みです。
音楽は人類が普遍的に感じる美です。で、あれば、その美を、その長い歴史を、同じ時間芸術に適用できないか、と言う試みとも言えるでしょう。